東京都大田区蒲田市の史跡といえば池上本門寺・五重の塔が有名です。
今回はその池上本門寺五重の塔の見所、そして池上本門寺内の狩野探幽の墓について、また狩野探幽とはどのような人物かについてご紹介していきたいと思います。
蒲田周辺の史跡の魅力をお伝えしますので、是非チェックしてみてください。
蒲田周辺の史跡である池上本門寺・五重の塔の見どころ
旧大堂は空襲で焼けてしまったものの、昭和39年にはようやく再建されたのがこの池上本門寺の大堂です。
そしてこの池上本門寺のみどころと言えば五重の塔で、徳川二代将軍秀忠の乳母、岡部局の発願で1608年に完成したのがこの池上本門寺五重の塔です。
いつも本当に存在する幕末以前の五重の塔としては最古のものであるというのもおさえておきたいポイントです。
関東には同じように4基現存する幕末以前の五重の塔がありますがそのなかでも一番古いものなのです。
実際に足を運んだ人たちの口コミでは迫力のある本堂に門構えが素敵だったという意見も多く、さらに3月末の桜の季節には見応えのある桜が楽しめるのも魅力とのことでした。
池上本門寺に足を運ぶのであれば是非桜が満開で見れる時期を狙って足を運んでみてください。
広くて荘厳な造りですが、経路が複雑になっているので、マップをもらってから散策するのが良さそうです。
蒲田周辺の史跡である池上本門寺内の狩野探幽の墓
そしてここで見逃せないのが本門寺内にある狩野探幽の墓です。
狩野探幽というのは「かのうたんゆう」と読み、江戸時代初期の狩野派の絵師です。
狩野孝信の長男であり日本へし史上最大といわれる狩野派の中興の祖と言われているのが特徴です。
早熟の天才肌の絵師と評価されていることが多く、墨の濃淡を鮮やかに適切に使い分けることによって、天才的な画力を発揮しました。
江戸時代の絵画の画風を作った一人とも言え、幕府御用絵師ともなり1621年には本気を江戸に移転しています。
そしてそんな狩野探幽の墓が池上本門寺の多宝塔の近くに存在しています。
ひょうたん型の特徴のあるお墓が見れます。
池上本門寺のなかでも比較的混雑しない場所ではあるもののその場所は非常にわかりにくいとのことなので池上本門寺でしおりをもらうことをお勧めします。
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