大田区蒲田は交通の利便性もよく、駅周辺の整備も進められ、より住みやすい街へと変貌する注目エリアです。
より快適に進化する大田区蒲田ですが、実は"キネマの都"として全国に名を馳せた歴史を誇る街でもあります。
今回は、松竹映画とゆかりの深い大田区蒲田の文化的魅力と歴史についてご紹介します。
大田区蒲田が「松竹映画発祥の地」となった歴史
大田区蒲田には、「松竹映画発祥の地」として、日本映画の発展に寄与した歴史があることをご存じでしょうか。
松竹映画の街としての歴史を歩みはじめたのは、1920年(大正9年)のこと。
この年に、松竹キネマの「蒲田撮影所」が設立されました。
蒲田撮影所では移転するまでの16年の間に、約1200本もの松竹映画が製作されました。
発祥の地から生み出された作品のなかには、誰もが知る有名作品や、映画史に残る名作も数多く含まれています。
また当時、大田区蒲田付近は銀幕スターも暮らすモダンな街でした。
「流行は蒲田から」という言葉もあったほどで、駅の周辺ではおしゃれな喫茶店などが人気だったようです。
松竹映画発祥の地としての歴史を辿ると、大田区蒲田の奥深い魅力が感じられますね。
大田区蒲田に今も残る松竹映画撮影所の面影「松竹橋親柱」
数多くの松竹映画を生み出した蒲田撮影所が設立されてから、100年を超える時が経ちました。
現在、大田区蒲田エリアは駅ビルなどの買い物スポットもにぎわい、交通面でも複数の路線が利用できて、現代の暮らしにフィットする便利な街となっています。
一方で、大田区蒲田には、今も松竹映画が撮影された面影を残す場所がありますよ。
JR「蒲田駅」の東口から南東へ歩くと、ほどなくして出てくる「大田区民ホール・アプリコ」が松竹映画の蒲田撮影所の跡地です。
大田区民ホール・アプリコのロビーには、「松竹橋親柱」が移設されています。
松竹橋とは、撮影所があった当時に正門前の川に掛かっていた橋のことで、銀幕スターたちも松竹橋を渡りました。
現存する4つの「松竹橋親柱」は、大田区蒲田の歴史的な見どころです。
また、大田区民ホール・アプリコ内には、「松竹橋親柱」のほかにも蒲田撮影所のジオラマも展示されていますよ。
緻密につくり込まれたジオラマを見ると、撮影所の建物だけでなく、蒲田のノスタルジックな街並みに思いを馳せることもできるでしょう。
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